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朝鮮音楽の研究

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の音楽・軍歌・歌謡を翻訳。現在100曲収録を目指しています。開設:チュチェ104(2015)年4月23日 ※2016/8/22 コメント欄開放 姉妹サイト:http://www.geocities.jp/totalwar1939/

【光明星節】あの方の一生(그이의 한생)【金正日同志生誕75周年祝賀①】

普天堡電子楽団 光明星節 祝賀 金正日同志追悼 1993年創作 解説付き

 

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↑画報朝鮮2012年特別号より

 

本日2月16日は偉大な領導者金正日同志のお誕生日、光明星節です。

偉大な領導者金正日同志は75年前の本日、抗日聖戦の銃声ひびく白頭山密営でお生まれになりました。

チュチェの革命偉業を代を継ぎ伝え、先軍政治によって社会主義の我が国を不敗の強国としてくださった我らの将軍様。今日、この日という民族最大の名節を祝賀するにあたり、まずは『あの方の一生』をお送りいたします。

 

 

朝を迎え 広がる思索
いつも人民のために 湧きおこれ
夜を徹して 続く思索
いつも祖国のために 深くなれ
人民のために 祖国のために 歩むその道に
父なる将軍様 金正日将軍様の 一生がある

 

露しずくの道 踏みしめる あの方の歩み 
我らの家や庭先にも 連なっておくれ
雨風をかきわける あの方の歩み
祖国のどこにでも 連なっておくれ
人民のために 祖国のために 歩むその道に
父なる将軍様 金正日将軍様の 一生がある

 

我が国という大家庭を 育ててくれ
大きな喜びだけを 抱かせてくれる
困難な世の中を  想ってくれ
幸福のゆりかごを 守ってくれる
人民のために 祖国のために 歩むその道に
父なる将軍様 金正日将軍様の 一生がある

 

아침을 맞으시며 펼치는 사색
언제나 인민 위해 시작되어라
한밤을 지새시며 이어지는 사색
언제나 조국 위해 깊어지어라
인민을 위해 조국을 위해 걸으시는 그 길에
어버이 장군님 김정일장군님 한생이 있네

 

이슬길 밟으시는 그이 발컬음
우리 집 뜨락에도 닿아 있어라 
눈비를 헤치시는 그이 발걸음
조국땅 그 어데나 땋아 있어라 
인민을 위해 조국을 위해 걸으시는 그 길에
어버이 장군님 김정일장군님 한생이 있네

 

온나라대가정을 보살피시며
크나큰기쁨을안겨주시
험난한 세상일을 헤아리시며
행복의 보금자리 지켜 주시네
인민을 위해 조국을 위해 걸으시는 그 길에
어버이 장군님 김정일장군님 한생이 있네

 

せっかく光明星節でリ・ジョンオの作品をとりあげるからには、やはり一通りの解説くらいは書いておいてもよかろう。

キム・グァンスクがうたった『あの方の一生』は1993年の創作である。

1993年といえば普天堡電子楽団とリ・ジョンオが数多くの作品を生み出していた黄金時代であるとともに、ソ連社会主義ブロックの崩壊期にあたる。(歌詞中の「困難な世の中」とはまさにこの時期を指していると考えられる)

この激動の時代において朝鮮式社会主義を守るには、それまでの他者との比較を絶した「首領」と、それに絶対的な忠誠を誓う「人民」の関係を、より親しみやすい「父と子」というレトリックによって置換することでさらなる結束を強める必要があったといえる。また言い方は少々悪いが、この時期は金日成主席の最晩年(翌年に死去)であり、それまで絶対的な「首領」として君臨してきた金日成に代わり、金正日を新たな「父すなわち首領」へとスライドさせていくことも課題としてあったに違いない。

その意味では、様々な研究書で指摘されているように、伝統的な儒教の強い影響下のもと家父長制的なアスペクトをみせる朝鮮民主主義人民共和国の社会ににおける「父」像の変遷を示す歌であるともいえるのではないだろうか。

金正日を「父」と形容する歌謡は、実はそれ以前からあった。たとえば1991年の『お会いしたい』がその嚆矢としてあげられるだろう(やはりリ・ジョンオ作曲だ)。

しかしやはり、難しいかじ取りを迫られる局面に直面したからこそ、『あの方の一生』において示された「父」像はより真実味をもって迫ってくるのではないだろうか。

さて、そんな『あの方の一生』だが、作曲者リ・ジョンオは普天堡電子楽団の作曲家として高い知名度をほこっている。

ここでは普天堡電子楽団とリ・ジョンオの歩みを、簡単に振り返っておきたい。

以降、おもに南朝鮮メディアに頼る情報が多くなってしまうが、お許し願いたい。

出典は:http://www.minplus.or.kr/news/articleView.html?idxno=1800

リ・ジョンオは平安北道の亀城市で生を受けた。1960年、平壌音楽舞踊大学(現在の金元均名称平壌音楽大学)を卒業したのちしばらくは音楽教員として働き、1979年に朝鮮人民軍協奏団、万寿台芸術団の作曲家となった。

1989年には人民芸術家称号を、1991年には金日成賞を、1992年には労力英雄称号を、そして1994年には金日成勲章を授与され、朝鮮音楽作曲家として別格の扱いを受けている『金日成将軍の歌』『愛国歌』の金元均にすら並ぶほどの光栄を得たのである。

1985年、普天堡電子楽団が創設されると、時期は不明ながらその副団長(兼作曲家)となり、さまざまな名作を生み出していくことになる。

実際、彼の作品にはチョン・ヘヨンがうたった『口笛』、リ・ギョンスクがうたった『うれしいです』といった「生活歌謡」から『あなたがいなければ祖国もない』『金日成大元帥万々歳』をはじめとする『首領頌歌』まで、多様な名曲が並んでいる。特に「生活歌謡」は南朝鮮でも広く歌われるほど有名になった。1990年代後半を境として徐々に活動が減っていき、ファン・ジニョンやウ・ジョンヒ、アン・ジョンホといった後進に任せていくようになったと考えられる。

2016年11月、リ・ジョンオが亡くなった。その前年、公演「追憶の歌」で姿を現したのが、公的な意味での音楽家人生の最後であった。そして「追憶の歌」はリ・ジョンオ最後の晴れ舞台にふさわしい、すばらしい公演だった。一日限りの再結成だったが、ここに普天堡電子楽団は最後の華を咲かせ、その役割を完全に終えたのである。

もちろん、これは普天堡電子楽団が否定されてしまったということではない。むしろ、後継者たる牡丹峰楽団への健全な新陳代謝が行われたということだ。

金正日の著作『音楽芸術論』によれば、時代の変遷とともに新進の気風をとりいれなければならない、としている(同時に朝鮮人民の情緒に合致した音楽でなければならないともしている)。その意味では、普天堡から牡丹峰への移譲は朝鮮音楽ファンとしてはとうぜん喜ばしいことではある。あるのだが、なんだかものさみしい気持ちにもなってしまうのだ。なぜなのだろうか。

チュチェ音楽は「社会主義リアリズム理論」と最先端の音楽技術とをともに包含する音楽だといえる。その意味で、普天堡電子楽団はその両方を完全に兼ね備えていた。

牡丹峰楽団がそうでないとは決して言わない(私自身、牡丹峰は大好きである)が、最先端の流行を追い求めるあまりに「新進」的すぎると思ってしまうのも、また事実なのである。

これは懐古主義者の妄言なのだろうか。そうかもしれない。しかし牡丹峰にはやはり今一度、普天堡電子楽団の音楽を研究し、ノウハウを摂取しなおしてほしい。

普天堡の後継者として、牡丹峰にはその義務がある。

そういうことを考えさせてくれる(私が勝手にこじつけただけなのかもしれないが)曲、『あの方の一生』は偉大な領導者金正日同志の生誕を祝賀するのにこの上なくフィットした名曲であるといえるのではないだろうか。

 2017/02/17:ちょこっと手直しした。

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 ↑白頭山密営の生家と正日