朝鮮音楽の研究

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の音楽・軍歌・歌謡を翻訳。現在100曲収録を目指しています。開設:チュチェ104(2015)年4月23日 ※2016/8/22 コメント欄開放 姉妹サイト:http://www.geocities.jp/totalwar1939/

金正日伝説

ネット上で流布されている金正日総書記の「伝説」なかには、出典不明のものや共和国側では伝えられていない(すなわち日本で創作されたと思われる)伝説が多い。そういうわけで、

朝鮮民主主義人民共和国の発行した文書などから北朝鮮公式の「将軍様伝説」をまとめてみたい。(もっとも伝説は無尽蔵なので、面白いエピソードをいくつか選りすぐることにする。)

 

 

1.生誕神話

金正日同志は朝鮮民族の父祖の山、革命の聖山である白頭山の頂、小白水の流れ二も近い白頭山密営で、金日成同志と金正淑女史のご子息としてお生まれになった。

抗日パルチザン隊員たちが固唾を飲むなか、静寂から一筋の産声が響いたとき、隊員たちは喜びのあまり一斉にマンセー(万歳)を叫んだ。
隊員たちは、パルチザンの息子の誕生を朝鮮全土に示すべく、木々にスローガンを刻み込んだ。いわく「ああ朝鮮よ、同胞たちよ、白頭光明星の誕生を知らせる!」
「二千万同胞たちよ、白頭山に光明星が天馬に乗って現れた」「抗日大将金日成、女性英雄金正淑、二世大統領万々歳」。(参照:朝鮮総連教材・朝鮮歴史など)
 
 
2.成長
1946年の解放後、父の故郷である万景台を訪れた正日少年は、曽祖父に次のように尋ねられた。「昔この墨でおじいさんは『志遠』と書き、お父さんは『朝鮮独立』と書いたが、正日は何を書いてくれるかね?」すると正日少年は迷わず『金日成将軍万歳!』と書いた。(参照:平壌外国文出版社・金正日略伝)
1953年、祖国解放戦争(朝鮮戦争)が始まると、正日少年は前線を駆け回る父・金日成最高司令官と離れ離れの生活を強いられた。そこで11歳の正日少年は筆をとり、なつかしき父なる将軍に手紙を書いた。
「お父さん、こんにちは。おかわりございませんか...
そしてお父さんに申し上げたいことは、お父さんはお父さん自身のからだではなく、全朝鮮人民の首領であるということです。お父さんが敵機に気を付け、からだをいたわられることは全朝鮮人民の幸福であり、ぼくの幸福です。」
のちにこの手紙の内容から歌詞をつくり、曲をつけて『祝福の歌』という歌をつくった。同時期の正日少年は『祖国のふところ』という曲も創作している。
(参照:同上)
金日成総合大学入学後は、学生たちを健全な社会主義者、共産主義者に育つよう正しく導いた。
(参照:同上)
 
3. 朝鮮労働党入党後
1982年2月16日、金日成主席は誕生40周年を迎える金正日書記に共和国英雄称号を授与することにし、書記や党幹部をみな錦繍山議事堂(金日成主席の執務室、現錦繍山太陽宮殿)に招集した。書記は、誕生日を迎える夜も一睡もせず執務をした様子だった。
部下がいった。「あまりにも無理をして仕事をしすぎです。昨夜も一睡もせず執務されたが、喉がかれないわけがありません。」書記は答えた。「喉がかれたことで主席を心配させないよう、私は祝いの席ではあまり話さないようにします。なので、私が夜を徹して執務をしたことを主席に知らせてはなりません。」
しかし、かれた喉がすぐ直るわけもなかった。祝いの席で英雄メダルと証書を受け取った書記は、主席のまえで党と革命と人民に忠誠を尽くすと決意を述べた。
決意を聞いた主席は心配そうな口調でいった。
「喉がとてもかれています。喉がかれたのを見ると、また夜を明かしたようです...」
(雄山閣出版・金正日書記の人間像)
以上のような話は挙げればきりがない。
 
金正日総書記のトレードマーク、カーキ色ジャンパー(野戦服)誕生秘話。
金日成主席も老境に至り、人民は主席に「若さ」をさしあげたくて、背広を着るようにと望んだ。しかし主席は当初、あくまでも質素な、着慣れた人民服を着用し続けると主張した。しかしついに周囲の声に動かされ、背広を着ることを承諾した。
人民は歓呼の声をあげた。ああ主席、生涯苦労された主席、10年は若返りなさった!
しかし主席はこうも語った。「私はやはり、心の戦闘服を脱ぐことはできません」...
金正日書記(当時)はこの話を伝え聞き、こう誓ったのである。
「主席にこれ以上の労苦を担わせないためにも、私は生涯この質素なジャンパーを脱ぐことはない。」(参照:同上)
 
2009年のことだった。
三日浦特産物工場を現地指導なさった総書記を見た工場労働者たちはあぜんとした。
そこにあるのは、やせ細ったからだに鞭うって現地指導をなさる父なる将軍様の姿だった。三日浦工場を離れる父なる将軍様を見送った工場労働者たちの目には、二筋のとめどない涙が流れていた。(参照:2009年4月12日付労働新聞)
 
 
4.逝去
 
2011年12月17日、金正日総書記は現地指導の途上、肉体的・精神的過労のため、あまりにも惜しまれつつ逝去した。
朝鮮人民にとって、青天の霹靂ともいうべき悲報であった。
総書記のご遺体を乗せた霊柩車には父なる将軍様を慕う平壌市民が押し寄せ、一時通行ができなくなるほどだった。
雪が降り積もる12月の道。人民は将軍様の霊柩が雪に濡れないよう、霊柩車の通る道に自らの衣服を脱ぎ敷いた。
鳥たちも総書記の逝去を深く悲しみ、総書記の肖像が描かれた碑などに集い止まった。
まもなく労働新聞は「悲しみを力と勇気に変え、進もう」との社説を発表した。
(参照:画報朝鮮2012年1月号など)
 
 
 
5.まとめ
 
日本語で読める共和国公式の「金正日伝説」本は、雄山閣出版『金正日書記の人間像』
同『金正日 その指導者像』同『人民の指導者 金正日書記』などがある。
これらの本にはいくつか興味深い逸話もあるが、むしろその物量に圧倒されてしまうだろう。あと『人民の指導者 金正日書記』は、描写が過剰すぎて金正日同志が嫌なやつにしか思えなくなっている。むしろ逆効果だったのではないかとさえ思える。
なんにせよ、金正日同志が稀代の偉人であったことは間違いない。