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朝鮮音楽の研究

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の音楽・軍歌・歌謡を翻訳。現在100曲収録を目指しています。開設:チュチェ104(2015)年4月23日 ※2016/8/22 コメント欄開放 姉妹サイト:http://www.geocities.jp/totalwar1939/

芸術公演《追憶の歌》と朝鮮音楽

普天堡電子楽団 追憶の歌

 

今年の3月23日、平壌で芸術公演「追憶の歌」が披露された。公演の模様は26日の朝鮮中央テレビで放送されたのだが、あいにく私は見逃してしまっていた。そこで、今回レインボー通商でDVDを購入し改めて「追憶の歌」を見てみたところ、朝鮮音楽マニアとしてぜひともこれは記事にすべきだ、と思い立つことになった。

公演は万寿台芸術団の『将軍様は太陽として永生なさる』で幕を開ける。そして金正日総書記がいかに朝鮮音楽を愛され、朝鮮の文学芸術をふところに抱き育てたのかを情緒豊かに述べる。

つづいて金正日総書記が「一番好きな歌」と言明した『同志愛の歌』、全人民的頌歌と呼ばれる『忠誠の歌』、初期の金正日賛歌『金正日同志に捧げる歌』など、総書記にまつわる歌が次々と演奏される。金正日総書記を追慕するにふさわしい曲ばかりだ。

そして注目すべきはなんといっても、キム・グァンスクやチョン・ヘヨン、リ・ギョンスク、リ・ブンヒ、チョ・グムファ、キム・ジョンニョといった普天堡電子楽団全盛期の歌手が再び結集し『口笛』『わが国が一番よい』など、普天堡電子楽団の代表曲を歌唱したこと。これには私も思わず胸が熱くなってしまった。普天堡電子楽団がすでに牡丹峰楽団へと発展的解消を遂げた今(2013年1月4日付労働新聞参照)、かつての普天堡オールキャストが結集し、一日だけにせよ普天堡電子楽団が「復活」したことは、ただノスタルジーを呼び起すだけではなく、わたしのような普天堡電子楽団を直接知らない新しい世代であっても、1990年代の黄金期に普天堡が打ち立てた輝かしい功績を現代で目の当たりにすることができる歴史的瞬間といえるだろう。

また、チョン・ヘヨンについては、1999年いらい5年もの間、声帯麻痺により歌はおろか、発声すら困難だった事情をのべ、その際に金正日総書記がただちに最良の医療をほどこした事績を紹介し、「我らの将軍様のようなお方がこの世のどこに存在するだろうか」とのべた。一歌手にこれほどまでの配慮を与えたという金正日総書記。どれほど音楽を愛し、またどれほど普天堡電子楽団とその芸術家たちを愛したのかがうかがえる逸話であった。

歌手だけではない。演奏家たちも(すでに中年にさしかかったとはいえ)1980年代~1990年代そのままの構成。あのラメの入った衣装も健在だったが、少々若作りだったっような気はしないでもない。電子楽器はどうだったのだろうか。あいにく電子楽器に詳しくないので規格などは全く分からないが、当時と同じYAMAHA製を使っており、見たところ当時と変化は何もなかったが、20年前の電子楽器をそのまま使用するには相当なメンテナンスを必要とするだろう。

ところで普天堡電子楽団の演奏形式は時期によって変化を見せているように思う。

 

普天堡電子楽団創造期(1980年代)

普天堡電子楽団全盛期(1990年代)

普天堡電子楽団退潮期(2001年~)

普天堡電子楽団の一時的復活(2009~2010年)

 

①の時期の音源は、明確に言及されたものではないが、それらしきものが初期に発売された一部のCDに収録されている。全盛期のものと比べてチープな印象は否めないし、楽器編成も小規模なものであるようだが、素朴な感じで味があった。

普天堡電子楽団は日本公演あたりからが黄金期で、この時期の公演数は多い。楽器編成やメンバーの技量も洗練され、実に壮麗。現在知られている普天堡電子楽団の曲目はこの時期に創作されたものが多い。

③末期の普天堡電子楽団は新曲も減り(2005~2008年ごろはまったくなかった)一部メディアで解散が報じられるほどであった。2009年ごろから再び活性化、新曲を収録したCDを発売した。だが2011年、そして最末期の2012年に発売されたCDには新曲は一曲も収録されていない。歌手が世代交代したのはむろんのことだが、演奏家たちの構成も変わっていたのだろう(この時期は公演の映像が存在せずCD音源を通じてしか判断できないので、演奏家については不明)。

④2009~2010年ごろは「最後の輝き」であった。この時期『攻撃戦だ』や『突破せよ最先端を』などが発表され、全盛期とは少々異なるものの印象的な曲を続けて発表、いっとき活動再開の希望を抱かせた。普天堡が熟成し見出した電子音楽のエッセンスを、正統な後継者であることを宣言した牡丹峰がどのように生かし、輝かせてきたのか。「金正日音楽政治」の終焉と「金正恩音楽政治」の開始からすでに数年を経た現在の印象として、牡丹峰は②の時期というよりは④の時期のアトモスフィアを受け継いでいるように思われる。普天堡全盛期の「華麗さ」継承しつつ、20年の時間の流れを埋め合わせるべく「古くささ」を払拭し、末期普天堡にみられる現代的感覚をうまく形象している点で、今のところ牡丹峰の試みは成功しているといえる。

話を元に戻す。公演「追憶の歌」の普天堡には③の時期のような印象は全くない。②の時期を見事に再現して見せた。

また、すでに牡丹峰楽団の作曲家としての活躍が確認されていたファン・ジニョンやアン・ジョンホ、ウ・ジョンヒら普天堡の作曲家のなかで唯一、音沙汰のなかった普天堡電子楽団副団長、作曲家リ・ジョンオの健在が確認されたのには安堵した。

最後にワンジェサン軽音楽団のメンバーが登場し、『正日峰の雷鳴』『愛そうわが祖国』などを歌唱し、『天のように慕います』で公演は締めくくられた。

 

おもえば、朝鮮音楽とは、芸術とりわけ音楽の分野に多大な愛と関心とを寄せられた金正日総書記がわたしたちに残してくれた「文化遺産」であり、朝鮮人民にとっては同時に思想闘争のツールでもある。その意味でこの公演は、長い伝統と高い芸術性とを誇る北朝鮮の音楽、ひいてはそれを政治と不可分な関係のもとで運用している北朝鮮という国を理解するうえで指標となるものであり、朝鮮音楽史のひとつの区切りではなかったか。公演を通して私が感じたことは、このようなことだった。

 

普天堡については、以下も参照されたい。

 

song-of-dprk.hatenablog.jp