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朝鮮音楽の研究

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の音楽・軍歌・歌謡を翻訳。現在100曲収録を目指しています。開設:チュチェ104(2015)年4月23日 ※2016/8/22 コメント欄開放 姉妹サイト:http://www.geocities.jp/totalwar1939/

作曲家・李冕相について

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ショスタコーヴィチとともに。左端がリ・ミョンサン。


今日の朝鮮音楽界を形成するのに大きく貢献した作曲家・李冕相について、「カラスよ屍を見て啼くな」(長征社)などを頼りに書いてみたい。


彼は朝鮮解放以前から活動していた音楽家である。1908年、咸鏡道退潮郡カフン里の農家に生まれた。1923年、咸興の2年生師範学校に入学。


1925年卒業後、元山第二普通学校の音楽教員となり音楽の創作・研究を行った。1929年、光州学生事件に連座して教員をやめさせられると日本に留学して音楽教育を受けた。


この時期には民族意識を込めた歌謡を創作し、日本当局から発禁処分を受けている。しかし日中戦争前後から時局歌謡を創作するようになり、「従軍看護婦の歌」などを手がけ日本の戦争遂行に協力した。


解放後は日本に協力した件で咎を受けることはなく北朝鮮音楽建設同盟委員長、文芸総中央委員会委員長、朝鮮音楽大学校長などを歴任し、1955年に功勲芸術家、ついで1961年には人民芸術家の称号を得る。


代表作には『輝く祖国』『勝利の五月』、『春の歌』『産業建国の歌』『ムンギョン峠』『我らは勝利した』『雪が降る』歌劇『血の海』歌劇『密林よ語れ』など多数。


北朝鮮政府に弾圧された者が多かった越北作曲家たちのなかでは社会的成功をもおさめ、1971年には朝鮮労働党中央委員会委員、それに最高人民会議常任委員を務めるなどした。1989年死去。現在、愛国烈士廟に墓所がある。