朝鮮音楽の研究

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の音楽・軍歌・歌謡を翻訳。現在300曲収録を目指しています。開設:チュチェ104(2015)年4月23日 ※2016/8/22 コメント欄開放 姉妹サイト:http://www.geocities.jp/totalwar1939/

思郷歌(사향가)

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金日成主席が創作した「不朽の古典的名作」とされる・・・が、詳細は後述。

 

歌詞

 

我がふるさとを 離れる朝に わが母が
門前で涙し 「立派にお行き」と
言われたその言葉が ああ 耳に響く

 

家から少し 遠くに行くと
小さな小川がさらさら 幼い弟たちと
遊んだその光景 ああ 目に浮かぶ
夢にも忘れられぬ 我が故郷よ

 

大同江の流れ 美しき万景台の春
夢にも忘れられぬ懐かしき山河
光復のその日に ああ 戻ってこよう



내 고향을 떠나올 때 나의 어머니
문앞에서 눈물 흘리며 잘 다녀오라
하시던 말씀 아 귀에 쟁쟁해

우리 집에서 멀지 않게 조금 나가면
작은 시내 돌돌 흐르고 어린 동생들
뛰노는 모양 아 눈에 삼삼해
꿈결에도 잊지못할 내 고향이여

대동강물 아름다운 만경대의 봄
꿈결에도 잊을수 없네 그리운 산천
광복의 그날 아 돌아 가리라

 

解説
『思郷歌』は朝鮮民主主義人民共和国では、金日成主席が創作した歌に冠せられる「不朽の古典的名作」という称号を持つ歌謡のなかでも最も格調高い曲として知られている。
例えば共和国が運営しているサイトのひとつ「朝鮮の今日」サイト内(

http://www.dprktoday.com/index.php?type=92&g=1&no=237)

では次のように解説されている。

「偉大な首領金日成同志が栄光ある抗日革命闘争の時期に創作なさり普及した不朽の古典的名作である。
歌は偉大な首領様が提示された主体的な革命路線、抗日武装闘争路線を心に奉じ、手に銃を持ち飛び出した抗日革命闘士たちの崇高な社会主義愛国主義の思想と、夢にも見て忘れられない祖国の山河と父母兄弟、特に偉大な首領様が子ども時代を過ごされた由緒ある万景台の切なる恋しさと祖国解放の燃える念願が感銘深く反映されている。」・・・

じっさい、朝鮮の様々なメディアにおいて『思郷歌』は放映されている。たとえば「チョソンの声」放送内での金日成回顧録「世紀とともに」朗読でも流される。
この曲がなぜ重要視されるのか。
それは、朝鮮民主主義人民共和国歴史観において極めて重要なパートを占める、金日成とその指揮部隊が祖国を解放したという「抗日パルチザン神話」を彩る曲だからである。
抗日パルチザン神話」はまさに国家体制の存在基盤の根幹を形成するものであり、抗日武装闘争の途にある金日成主席が故郷の万景台を懐古する内容の『思郷歌』は、それを裏打ちするという意味で欠かせない。
さて、先に述べたように『思郷歌』は金日成主席が自ら創作した、とされている。
しかし、これは事実ではない。
南朝鮮大韓民国)の研究者の間での定説は、『思郷歌』は大韓帝国軍楽隊長なども務めたフルート奏者、鄭士仁(1881~1958)という音楽家が作曲した曲である『내 고향을 이별하고(わが故郷を離れて)』という曲がもとになっている(作詞者は不明)という。実際に旋律はもちろん、歌詞の内容も酷似していることから、これは正しい説だといわざるをえない。
ではなぜ共和国国内では「金日成主席が創作した」といわれているのか。
様々な推測が可能なのだが、共和国当局の故意のねつ造というより、自然な形で事実がすり替わってしまったとするほうが蓋然性が高く、次のようなシナリオが真実に近いと思われる。
金日成主席がパルチザン時代、故郷を想いながら実際に『我が故郷を離れて』を愛唱し、パルチザン部隊のなかにも普及したものが解放後も伝えられたが、金日成主席が「人間」から絶対的な権威をもつ「首領」へとスライドする過程で、いつの間にかその出自が失われていった・・・。

しかしどの段階で『思郷歌』と『我が故郷を離れて』が入れ替わったのかはわからないし、そもそも『思郷歌』はある時点で原曲から分離して伝えられていった可能性もあるため、本当のところは今後の研究を待つしかない。
このような経緯を持つ『思郷歌』だが、実際には金日成主席が創作したものではないとはいえ、間違いなく主席とその部隊員を鼓舞した歌であることに変わりはなく、研究が進むにつれ、その歴史的価値はいっそう高まっていくだろう。

バージョンはたくさんある。私が持っている朝鮮音楽CDを調べてみたところ、普天堡と功勲だけで3バージョンずつある。他にもいろいろあるのだろうが、今回は功勲の動画と金日成主席みずから歌っているものを貼っておく。

 

参考サイト

사향가 - 엔하위키 미러

 

動画



 

・原曲『我が故郷を離れて』



2015/04/24 記事公開

2017/12/29 記事を大幅改訂

 

※欄外コラム

日本の皇室は壬申の乱南北朝動乱で皇統が断絶しているとはよくいわれるが、

同様の例は中国にもある。というか中国が本場だ。

たとえば劉氏の漢帝国がそう。王莽の新帝国を挟んで前漢後漢と区別されるのは教科書レベルの話だが、劉邦光武帝・劉秀など血統で言っても遠縁だし、中央集権レベルの差異など、その統治システムは全く異なっているのが実情だ。

また明帝国にも同様のことがいえる。

本来の明朝の正統は南京にある洪武帝朱元璋の政府であったが、その直系の孫である二代皇帝を廃した永楽帝も血統で言えば傍流であり、その政府は北京に置かれた。

これについて、中公新書西太后』(加藤徹)では、中国は中近世にかけて常に南方政府が北方政府に征服されてきたと指摘し、中国人の北方コンプレックスを明らかにしている。

こうした屈折した感情が、北方の大清帝国に大規模な反乱を起こした太平天国と、さらにはその原始共産制の評価にもつながり、毛沢東に象徴される中国の共産主義思想の誕生に寄与したのではないか、というのが共産趣味者かつ歴オタである私の考えるところである。