朝鮮音楽の研究

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の音楽・軍歌・歌謡を翻訳。現在100曲収録を目指しています。開設:チュチェ104(2015)年4月23日 ※2016/8/22 コメント欄開放 姉妹サイト:http://www.geocities.jp/totalwar1939/

普天堡電子楽団の歴史

 

普天堡電子楽団

普天堡電子楽団金正日総書記の手厚い後援のもと創設された楽団である。

金正日総書記は、その党歴を芸術部門の責任者から始めたことからもわかる通り、音楽をはじめとする芸術・文芸分野に大きな理解と関心を寄せた。

その一環として、総書記は現代科学技術の最先端である電子楽器に着目した。それまで北朝鮮においては管弦楽や合唱のみが「社会主義リアリズム」の観点から見て健全な音楽であるとされていた。

しかし総書記は、それは旧時代の価値観に縛られた人々による電子音楽に対する偏見に過ぎないと看破し、電子楽器でも他国の音楽の真似でない朝鮮式の音楽を立派に演奏することができると考えた。

そこで万寿台芸術団の内部に電子音楽部門を試験的に設置した。これがのちに独立し普天堡電子楽団とワンジェサン軽音楽団となる。

そして金日成主席が抗日闘争時代に名を挙げた1937年6月4日の「普天堡の戦い」にちなみ、朝鮮で最初の本格的な電子楽器を使った楽団である普天堡電子楽団が1985年6月4日、創設された。

1986年には最古参の歌手であるキム・グァンスク(金光淑、김광숙)が入団した。彼女は「輝け正日峰」を皮切りに「一緒に行こう」「親しきその名」など多くの歌謡をうたい、1992年には人民芸術家の称号を得た。夫は同楽団所属の作曲家チョン・グォンである。

1988年には後に「口笛」で南北ともに広く知られることになったチョン・ヘヨン(全惠英、전혜영)が入団した。彼女は「口笛」を歌った功績から1992年に人民芸術家の称号を得た。同じく1988年、のちに「パンガプスムニダ」(お会いできてうれしいです)「わが国が一番良い」などで有名になり功勲芸術家の称号を得るリ・ギョンスク(李京淑、리경숙)が入団した。

その後もチョ・グムファやリ・ブンヒ、ヒョン・ソンウォル、ユン・ヘヨンなど普天堡電子楽団を構成する優秀な歌手たちが次々と入団し、彼女らが活動を開始すると同時に朝鮮人民に広く受け入れられていった。

1990年代は数多くの歌曲が創作された普天堡電子楽団の全盛期である。人民芸術家リ・ジョンオをはじめ、人民芸術家ファン・ジニョン(2014年現在、牡丹峰楽団副団長・労力英雄)、人民芸術家アン・ジョンホ(2014年現在、労力英雄)、朝鮮では珍しい女性作曲家である功勲芸術家ウ・ジョンヒ(2014年現在、労力英雄)らは数多くの歌を作曲した。リ・ジョンオの代表作には「あなたがいなければ祖国もない(1992年)」「パルコルム(同年)」などが挙げられ、朝鮮で最高位の賞である金日成賞を授与されるなど朝鮮音楽界で最も評価されている作曲家である。

1991年には日本公演を行った。1991年当時の朝日関係は金丸信らの尽力により現在に比べてはるかに良好であり、朝日親善のための文化交流が行われた。その一環として普天堡電子楽団の訪日が実現した。

日本公演ではおもに政治色の薄い曲や日本の歌謡曲が演奏され、好評を博した。

ちなみに、「北朝鮮 裏切られた楽土」という本には、金丸信金正日総書記の所有する楽団に電子楽器一式を送ったとの記述があり、この楽団は普天堡電子楽団とワンジェサン軽音楽団を指していると思われる。

1994年、金日成主席が死去すると『我らは誓う』などの歌謡を創作した。

2000年代も順調に活動を続けたが、複数の証言などにより2008年には活動休止状態に陥っていたとの報道もあった。しかしその後「牡丹峰」小組や「小白水」小組などの小グループに分かれながらも2010年には「突破せよ最先端を」などを発表しており、再び活性化したようである。牡丹峰小組や小白水小組はのちにそれぞれ牡丹峰楽団銀河水管弦楽団の母体となったと考えられる。

2013年、金正恩第一書記の命により普天堡電子楽団は発展的に解散し、現在の牡丹峰楽団へと改変されたことが公式に発表された。

普天堡電子楽団に所属した歌手たちは現在は引退し、後進の指導にあたっている。たとえばチョン・ヘヨンは万景台学生少年宮殿で音楽講師をしている。ヒョン・ソンウォルは牡丹峰楽団の団長として現在も第一線に立ち続けている。

前述の通り作曲家たちも牡丹峰楽団の専属として活躍している。

リ・ジョンオのみ引退しているが2015年現在、健在が確認されている。

(※2016年11月9日付労働新聞4面にて死去が報道された。73歳)

2015年には公演「追憶の歌」にて(わずか一日ではあったが)限定的な再結成を果たした。

 

おおまかに普天堡電子楽団の「組織」としての歴史をふりかえってきた。

つぎに「音楽活動」すなわち純粋な芸術活動についてみていきたいと思う。

普天堡電子楽団の創造期においては、いまだ万寿台芸術団電子音楽部門という位置づけから抜け出してはおらず、CDにも楽団の初期音源らしきものは収録されているが、楽器編成は後年にくらべて小規模でありチープなサウンドであった。

しかしながら90年代に入るとがぜん勢いがでてくる。

楽器編成やメンバーの技量も洗練され、いろいろな曲が創作されるとともに、そのレベルはきわめて高くなった。前述の通り、この時期はまさに黄金時代と呼べるだろう。

しかしながら2004~05年あたりを境に、普天堡電子楽団の創作活動は低速化し、歌曲の創作そのものが停止されることになった(朝鮮が毎年発行している『新しい歌』誌にも同時期の歌曲は掲載されていない)。

読者の指摘により、この間にも創作活動は継続されていたことが明らかとなった。

ただし、やはり普天堡作曲家の主力メンバーたちの作品ではなかったようだ。

2009年ごろになると、ユン・ヘヨンを中心として、往年のサウンドとは少々趣がことなるものの創作活動を再開し、より時代の趨勢にそぐう形での復活を遂げた。

組織的解消後、前述の「追憶の歌」においては、まさに90年代の再現というべき壮麗な演奏がなされ、またヒョン・ソンウォルやユン・ヘヨンら、全盛期の歌手たちよりも次世代の普天堡歌手たちも加わり、普天堡電子楽団史の総括といえる公演となった。チョイスされた曲としては『親しきその名』『うれしいです』『お会いしたい』『その懐を忘れられない』『口笛』などであった。

普天堡電子楽団の楽曲は、組織としては解消された現在でもさまざまな形で演奏・利用されている。牡丹峰楽団のレパートリーには普天堡電子楽団が創作した曲が多くある。

またワンジェサン軽音楽団(現・ワンジェサン芸術団)、朝鮮人民軍功勲国家合唱団(現・功勲国家合唱団)、万寿台芸術団、国立交響楽団など、朝鮮の他の楽団も多くカバーしている。朝鮮中央テレビやラジオなどでも盛んに聞くことができるし、海外同胞の間でもひろく認知されており、各国に点在する朝鮮民主主義人民共和国経営のレストランでも歌唱されていることがある。

 

金正日の料理人」には藤本健二の証言として、金正日みずからが日本公演に臨む普天堡電子楽団歌手たちの発音の矯正を指導したりと、直接に創作活動を指導していたことが明らかとなっている。これらのことから、普天堡電子楽団金正日の絶大な愛顧を受け、そのふところのもとで新曲の発表にとどまらず、民謡や過去につくられた朝鮮の歌曲の発掘・再形象、外国の曲のカバーなど多岐にわたる創作活動を展開することができたのである。

民謡の再形象にあたっては、先に述べた金正日の音楽哲学である「朝鮮式に演奏する」ことを主眼とし、朝鮮民謡のもっている情緒を保ちつつ現代的なアレンジも加えるという要求をりっぱに満たした。

外国曲の演奏にあたっても必ずしも模倣ではなく、あくまで独自的な観点に立脚した創作を行った。それらの曲はソ連や中国など社会主義圏の歌もあれば、日本やフランスの歌謡曲もあり、国境や思想の枠を越えた自由な創作が展開された。

 

まとめとして、それまで「資本主義の産物」という不当な評価を受けていた電子音楽を朝鮮音楽界に導入した点において、普天堡電子楽団の登場は画期的だったといえる。

とりわけ大韓民国や日本など、歴史的・政治的に対立している諸国においても広く受け入れられる音楽をつくりだしたという意味でも、朝鮮音楽史の重要な転換点のひとつであった。「口笛」「パンガプスムニダ」などは大韓民国の歌手たちもうたい有名となった。

現在、普天堡電子楽団のCDは200枚近くが発行されている。

 

2015/04/30 記事公開

2017/03/20 記事改訂のうえトップに移動