北朝鮮音楽史
・はじめに
北朝鮮の音楽史。それは朝鮮民主主義人民共和国という国家とともに歩んできた歴史である。
社会主義国である朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)において
音楽は思想・政治活動を高度に革命化・組織化するうえで最も有力な宣伝手段であると位置づけられている。
北朝鮮には「音楽政治」という用語がある。文字通り音楽によって政治を行う、というものだ。
北朝鮮において音楽と政治・思想は不可分の関係にあるといってもいい。
金正日総書記はその主著『音楽芸術論』のなかで、人民の生活に根差した音楽は「健全で豊かな情緒は生活をうるおいのあるもの」にし、
人々の感情と精神・道徳を「崇高」かつ「清らかなもの」にするとし、人民大衆に「健全な革命思想」を抱かせ「自主性を擁護する闘争を鼓舞」する音楽芸術の発展を求め、それにふさわしい音楽は「チュチェ音楽」であると述べている。
総書記の『音楽芸術論』は200ページ余りにも上る大部であり、朝鮮音楽の目的や思想性・芸術性、曲・歌詞や演奏の形式と実践、正しい音楽史観などについて子細に述べられており、北朝鮮の音楽創作はこの著作に基づいて行われている。
この項ではその建国いらい連綿と続いてきた朝鮮音楽の歴史を、朝鮮民主主義人民共和国の公式な音楽史観の時代区分に基づき甚だ簡潔ではあるが著述してみたい。
1.抗日革命音楽
北朝鮮の公式史観において、朝鮮音楽の源流は金日成主席が組織した抗日革命時代にあると言われている。
金日成主席は抗日パルチザン隊員と人民を革命的に教育し、革命への闘争心を鼓舞するうえで音楽芸術の持つ力と役割とを認識し、多数の革命歌謡を創作して広く流布させた。
その当時につくられた歌謡には『遊撃隊行進曲』や『決死戦歌』、『革命歌』『赤旗歌』『総動員歌』『反日戦歌』『パルチザン追悼歌』『朝鮮人民革命軍』などがあるが、この時期、各地を転戦していた抗日パルチザン部隊では解放後のように本格的な音楽芸術を創作する環境が整っていなかったために日本軍の軍歌や歌謡の旋律を借りて創作したり、世界的に有名な労働歌をそのまま歌唱したりしていたようである。
またこの時期、「不滅の革命頌歌」と呼ばれる『朝鮮の星』が創作された。
『朝鮮の星』は、抗日パルチザン隊員のひとりであった詩人・金赫(キム・ヒョク)が、金日成主席を民族の太陽、祖国解放の救いの星と敬慕する一念から創作したといわれ、その後の朝鮮音楽の主流となる首領を賛美する歌謡、すなわち「首領形象音楽」の先駆となった音楽である。
朝鮮音楽の歴史を語るうえで欠かせないのは、『思郷歌』だ。
『思郷歌』は金日成主席が抗日革命の道にあるとき、故郷の万景台を懐かしんで口ずさんだといわれる歌であり、
抗日パルチザン神話を彩る重要な曲となっている。
北朝鮮の公式史観では金日成主席が自ら創作した歌であるとされているが誤りである。
2.平和的民主建設期音楽
1945年8月15日の日本敗戦を受け朝鮮半島は30年以上に及ぶ植民地支配から解放され、
それとともに日本の統治下では決して満足に行えるとはいえなかった朝鮮人自身による自由な音楽芸術活動が可能となった(ただし新民謡の流行など朝鮮人が主体の音楽活動が全くなかったわけではない)。
ソ連軍の軍政下におかれた朝鮮半島北部では、社会主義政権の樹立に向けた多くの政策が行われ、それらの実施を宣伝する歌や解放の喜びを歌う歌謡が多数つくられた。
金日成とソ連軍政によって行われた土地改革を祝賀する歌『畑へ行こう』朝鮮民主主義人民共和国の国歌となる『愛国歌』、『産業報国の歌』、解放後初のメーデーを祝賀する『勝利の五月』、米軍軍政下に置かれた南朝鮮(韓国)を歌った『闘争歌』、婦人の社会的地位向上を祝賀した『女性解放歌』、1948年の朝鮮民主主義人民共和国建国を祝賀した『人民共和国宣布の歌』など多岐にわたる。
なかでも朝鮮音楽史上最も有名かつ重要な曲と位置付けられる『金日成将軍の歌』が1946年7月に創作されたことは特筆すべきである。
また朝鮮音楽黎明期であるこの時期には、現在では全く歌われることのないソビエト連邦を称揚する歌謡やスターリン書記長をたたえる歌謡
などが広く歌われており、金日成の地位は後年に比してはるかに低いものだったことがうかがえる。
この時期にはのち朝鮮音楽界の重鎮となる金元均、李ミョンサン、金玉成、朴世永や、中国共産党のもとで活躍していた鄭律成などの 音楽家が中心となり創作活動を行った。
芸術団体としては「北朝鮮音楽建設同盟」が1946年に結成(のち北朝鮮音楽同盟に改称)、同じく46年に「北朝鮮文学芸術総同盟」が
誕生した。
3.祖国解放戦争期の戦時歌謡
1950年6月25日に祖国解放戦争(朝鮮戦争)が勃発すると、
金日成最高司令官は「すべてを戦争勝利のために」のスローガンを提示した。
とうぜんながら音楽も戦争に動員され、『祖国防衛の歌』や『決戦の道』『海岸砲兵の歌』など勇猛な印象を与える軍歌が多数制作された一方で、
激戦地の戦いを歌った『聞慶峠』や『泉のほとり』、『塹壕内の私の歌』、『旦那が英雄になったの』など叙情的な歌謡も盛んにつくられた。これらは現代朝鮮音楽史では「戦時歌謡」に分類されている。
また終戦直後には『我らは勝利した』が発表され、後年には普天堡電子楽団が『我らの7.27』を、最近では牡丹峰楽団が『7.27行進曲』を創作するなど、
朝鮮民主主義人民共和国こそ朝鮮戦争の勝利者であると喧伝する歌謡は北朝鮮の音楽史において一つの潮流となっている。
朝鮮戦争では詩人・趙基天をはじめとした多くの芸術家が戦地に赴いて戦死し、
芸術の分野に大きな打撃を与えると同時に、あらたに英雄的な歌謡・文学・絵画をも生み出した。
4.戦後復旧と社会主義建設期の音楽
朝鮮戦争によって焦土と化した北朝鮮にとっての急務は経済・産業の復興と社会主義の再建であり、
この時期の朝鮮音楽は『平壌は心のふるさと』『この世に羨むものなし』など
日に日に発展する祖国の繁栄と、党と首領の領導を受ける幸福を歌った曲が多くなる。
またソ連からの支援を多く受けた復興だったこともあり、カンタータ形式の音楽作品が創作されるなどソ連の影響も強く受けた。
さらに千里馬運動と呼ばれる社会・経済のさらなる発展を目標とした運動が始まると、
『千里馬走る』『千里馬先駆者の歌』『我らは千里馬に乗り駆ける』などの歌謡が創作され、運動を盛り上げた。
農業では「青山里方式」と呼ばれる方式が確立し、『青山里に豊年が来た』など農業の改革によって収穫物が飛躍的に増大したことを宣伝する歌謡が生まれた。
『リムジン江』『統一列車は走る』など朝鮮半島の分断や統一問題を歌った歌謡も多くつくられ、この時期の歌謡は日本の「うたごえ」運動でも歌唱された。
映画創作も広く行われるとともに、『私は永遠にあなたの息子』などの映画音楽も盛んにつくられた。
1970年代からは『党の真の娘』『花を売る乙女』『血の海』などオペラ形式の「革命歌劇」が全盛となり、
それに伴い万寿台芸術団や朝鮮人民軍協奏団などが多くの劇中歌を創作した。
1967年の朝鮮労働党中央委員会第4期第16回総会で唯一思想体系を確立した金日成は70年代にはチュチェ思想を確立し独裁権力を完成させ、
以後の朝鮮音楽は金日成を賛美する「首領形象音楽」が主流的となっていく。
また金正日が後継者に決まると『代を継ぎ忠誠をつくします』を皮切りに金正日書記をたたえる歌謡が金日成主席をたたえる歌謡とともに首領形象音楽の主要なテーマとなっていく。
5.普天堡電子楽団の音楽
1980年、金正日が党書記に推戴されると朝鮮音楽は新時代を迎えることとなる。
北朝鮮においてはそれまでも音楽が思想・政治宣伝に有効に用いられていたが、
金正日書記はそれを深化させ現在の「音楽政治」にまで発展させたからである。
書記は音楽をはじめとした芸術分野にたいする造詣が深く、それまで北朝鮮の音楽界では悪しき西側世界の楽器だという偏見を持たれていた電子楽器に着目した。
書記は、資本主義諸国の電子音楽が退廃的なのは人民の生活や実情に即していないばかりか奇形化された狂乱的音楽によって人々の健全な思想・意識を麻痺させるよう悪用されているからであり、最先端の科学技術の産物である電子楽器を朝鮮の風土と人民の生活に立脚して朝鮮式に演奏すれば、思想性と芸術性を両立した現代的な朝鮮音楽を立派に演奏できると考えたのである。
金正日書記の指導により、万寿台芸術団の一部門から分岐する形で1983年にはワンジェサン軽音楽団が、1985年には普天堡電子楽団が設立され、80年代後半~2000年代前半にかけ数多の名曲が百花繚乱と咲き乱れる全盛時代が幕を開けた。
1980年代から90年代の全盛期にかけて普天堡電子楽団が創作した曲は『輝け正日峰』『われらの金正日同志』『親しきその名』『あなたがいなければ祖国もない』など無数に存在する。
また朝鮮民謡や1960年代に創作された過去の名曲を発掘し再形象、さらには外国曲を演奏するなど新たな試みも行われた。
1980年代末~1990年代初頭に東欧の共産主義国、ついでソビエト連邦が崩壊したことは朝鮮民主主義人民共和国にも大きな衝撃を与え『社会主義を守ろう』といった曲が創作される背景となった。
6.先軍時代の音楽
1994年に金日成主席が逝去すると金正日書記が後継し、1997年には朝鮮労働党総書記に推戴され名実ともに「領導者」となった。同年、『金日成将軍の歌』と並び立つ「永生不滅の革命頌歌」と呼ばれる『金正日将軍の歌』が創作された。
総書記は軍事を国事の最優先とする「先軍政治」を掲げ、朝鮮人民軍を革命と建設の主力と位置付けた。
朝鮮音楽界も、普天堡電子楽団やワンジェサン軽音楽団(現在は名称をワンジェサン芸術団に改称)を中心とする電子音楽と万寿台芸術団などの古典的音楽、
それに朝鮮人民軍協奏団から分かれた功勲合唱団や、2009年に創立された銀河水管弦楽団などがこぞって軍歌や首領形象音楽を創作し、現在に至るまで数多くの歌曲を生み出し続けている。
7.朝鮮音楽新時代
2011年に金正日総書記が逝去すると後継者である金正恩第一書記は2012年に普天堡電子楽団を吸収する形で牡丹峰楽団を設立、
主席と総書記が切り開いた音楽政治を継承し、現代化を進め、さらに発展させている。
2015年には新たに青峰楽団を新設(ただしワンジェサンに所属)し、朝鮮音楽界に新たな息吹が入れられた。
・付録:朝鮮民主主義人民共和国の楽団
軽音楽
普天堡電子楽団
ワンジェサン軽音楽団
牡丹峰楽団
合唱
朝鮮人民軍功勲合唱団
朝鮮人民軍協奏団
朝鮮人民軍軍楽団
朝鮮人民内務軍軍楽団
万寿台芸術団
管弦楽
国立交響楽団
銀河水管弦楽団
この他、各職場・軍部隊に芸術小組あり。
・おわりに
この記事を読んで朝鮮音楽に興味を持っていただけたなら幸いです。
・参考文献
音楽世界 各号(北朝鮮書籍)
先軍時代の歌(北朝鮮書籍)
カラスよ屍を見て啼くな 朝鮮の人民解放歌謡(長征社)
朝鮮音楽 金正恩第一委員長時代へ(レインボー出版)
朝鮮歌曲集(音楽の世界社)
山河ヨ我ヲ抱ケ 韓国現代史の群像(ハンギョレ新聞社)
東アジア流行歌アワー(貴志俊彦、岩波現代全書)
韓国メディアの各記事